ここ最近の「反応する色」

ちょっと、色鉛筆で、今の自分が“反応する”色を調べてみた。

色鉛筆を一色ずつ、左手に乗せて、各色毎にどう感じるかを確かめてみるやり方だ。

そうすると、今日、自分が反応した色は、無彩色の3色(白・黒・グレイ)と赤と緑、インディゴとピンクだった。

へー、そうなんだ。

無彩色が入るのは分かっていた。

ここのところ、頭の中が混沌として、“スッキリ”という快感が得られていない日々を送っていたからね。

風邪をひいて、まだ薬を飲んでいるというのも、影響しているかも知れない。

それを裏付けるように、赤と緑に反応したというのも納得だな。

補色の関係の2色だが、たぶんに、「肉体」との関係を説いていることがある。

そして、ピンクとインディゴかあ。

ピンクは、ここ最近に限らず、他力本願的な自分を感じることが多々あるので、それでしょう。

インディゴも、このところの混沌とした気分なら、自己内省モードに入っていることの証でもあろう。

面白いな、と思うのは、やっぱり今日は、今日反応した色のほうが、自分にしっくりくる感じがあること。

いつもなら、たいてい興味を示す黄色やオレンジ、黄緑などが、今日は浮ついた感じに見えて、手に取りたいとは思わないこと。

今日のヒーリングカラーは、無彩色と赤、緑、ピンク、インディゴだな。やっぱり。

自分が欲するものに敏感になると、自ずと自分をサポートしてくれるものが何か、それもわかってくる。

自分をいたわるとは、そういうこと。

| 色の小話 | 22:52 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

ぬり絵をしてみる

先日、久々に「ぬり絵」をしてみた。

色を塗るにあたって最初は色々考えるが、塗り始めると、案外無心になって塗っているものである。

気分がいいと、鼻歌など歌いながら、色塗りをやっていたりする。

絵を描く時もそうだが、どの色を選択するのが正しい、なんてことはない。

好きに自由に描けばいい。

先日の「ぬり絵」のお題は、「冷たい」とか「温かい」とか、「健やか」や「かゆみ」、「だるい」といったものを感じたままに色を塗ることで表現することだった。

「冷たい」というのは、やはり青系の色を中心に塗った。でも、なんかそれだけでは満足しなくて、一色赤系の色も加えてみた。

「冷たい」というフレーズに、一抹の救いのようなものが欲しかったからだ。

「温かい」は、今回はピンク系で塗りたかった。それにハート型まで描いてしまった。

なにかこの温かさは、心の温かさというか、心が温めてくれるような感じのものにしたかった。

「かゆみ」は、赤系の色でぐるぐる渦巻きを描いた。なんかかゆいとイライラしません?そんな感じ。

「だるい」は、どよーんとした色を選択して、どよーんとした感じのしずくを描いた。

「健やか」は、若葉のイメージで、黄緑や緑を中心にしてみた。

どれも、私のイメージと今の具合が表れている。ほほう、なるほどね。

やっているうちに、面白くなってきた。

ぬり絵は、単純だけれど、ちょっとした解放感が味わえるツールだね。

| 色の小話 | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

色で伝える

そういえば、今年は、バレンタイン向けのネタを書いていなかったな。

あと3日ほどで、バレンタインデーか。デパートなどの特設チョコ売り場は、すごく混んでいるらしいね。

やっぱりこの日は、女性にとって一つのチャンスだから、ぜひ、頑張ってもらいたい。

そして、相手に贈るものは、何を選ぶのか、どういう思いを込めるのか、渡し方の演出は…など、色々考えるのは大変だろうが、とても楽しいことだろう。

ここでも色は、関わってくる。

まずは、どういう思いを込めたいのか、そこを明確にすること。

例えば、自分の中の熱い想いを十分に伝えたいなら、何色と思う?

これは簡単だね。そうです、「赤」です。

「赤」にこだわったラッピングを工夫してみよう。

そして、渡し方も、照れてふざけたりしないで、真剣に(でも、暑苦しくなく)、「好きです」の言葉と共に渡してみよう。

さて、片思いの女性が、相手の気持ちを知るために、バレンタインデーを利用するというパターンもあるだろう。

当たって砕けてもいい、という方は、ラッピングに「赤」や「ピンク」でも全然構わない。この色は、情熱における本気度の高い色だから、自分が本気だということが相手にわかってしまう。

その上で、断られたら格好が悪いと懸念するなら、「赤」や「ピンク」はやめて、「オレンジ」などどうですか?

ちょっと、仲間的な親近感の色で、“友情チョコ”と言い張れないこともない。仮に断られたとしても、「友達としてよろしくね」とつないでおける。

本当に“友達チョコ”なら、「緑」のラッピングあたりが想いのほどが重くも軽くもなく手ごろだ。

ところで、「紫」のラッピングは、個性的で大人っぽい。おしゃれな彼なら彼のセンスに合わせたいところだ。

それから、おしゃれな人は、こだわりもプライドもあるから、品物選びは慎重に。ラッピングも凝ったものにすることをお薦めする。もちろん、色は「紫」でね。

| 色の小話 | 22:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

「好き」と「自由」と「癒し」

クライアントさんにカラーセラピーを行っていて、時々、こんなことがある。

まず、カラフルな複数のボトルの中から、自分の好きな色や、今、自分の心にピタッとくるような色を選んでもらう最初の段階で、このように言われる。

「色が選べません」とか、
「どういう色を選んだら良いですか?」とか、
「好きな色って、どういうことですか?」などと、訊かれることがある。

「色が選べない」というのは、様々な理由がある。ボトルがたくさんあって迷う。自分の好きな色が分からない。自分で選ぶ自信がない、などなど。

「どういう色を選んだら…」は、なんでも物事の正解を外したくない、というあたりの心理が働いていると思われる。色を選ぶのに“良い悪い”なんてないけれどね。

「好きな色って、どういう…」は、“好きな色”とは、普段よく使っている色のことなのか、とか、何か特別な思い入れがあるもののことなのか、とか、すごく難しく捉えている場合もある。

いずれにしても、「好きな色を選ぶ」というのは、こんなに考え込むことではない。

頭を使わず、心で選ぶ作業なんだけれど、どうも、これが難しく感じる人がいるようだ。

“好きな”って、素晴らしく寛容で純粋でまっすぐな感覚ではないだろうか。

「好きなものを選んでいいよ」というのは、“心を自由にしていいよ”ということで、このチャンスにめぐり合えると、私などは嬉しくてわくわくしてしまう。

「心を自由に出来る」とは、本来は誰にでもある権利だが、社会に出て背負っているものが多くなれば、そうもいかなくなってしまう人もいる。

それに、子供の頃は無邪気に好きなものを選べたのが、だんだん“好きなもの”に対する感度が鈍ってくる。

大人になるとはそうしたものだとすれば、それは、悲しいことではないか。

心を自由に出来る場は、あなたの“癒し空間”である。その心地よい癒しを自分に授けてみませんか。

| 色の小話 | 21:26 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

「黒」からの脱却

朝のTV番組を見ていたら、40代、50代の女性は、着る洋服の色が、ほとんど「黒」らしい。

インタビューでもやっぱり出ましたこの発言、「黒は無難だから…」。んもう、だから違うって!

それから、きれいな色ものの洋服については、「どこに着ていったらいいのか、わからない」。だって。

そんなものなのかなあ。

巷では、アラフォー女性が注目されていて、美魔女なる言葉も彼女たちへの賛辞だと思っていたが、それもごく一部の女性のことなのか。

また、パーソナルカラーのお客様を見ていても、50代の女性が一番元気がいいように感じていたので、とても“無難”で収まるような年代ではないと思っていたが、これも一部の人の話なのか。

ワードローブの中が、ほとんど黒い洋服でうめ尽くされているのは、残念だ。

なぜ、そうなるのだろう。

「黒」の表出が多いからといって、別に、病んでいる訳ではない。

彼女たちにとっては、隣組やPTAなどの自分の生活エリア内で、みんなも着ている「黒」であれば、自分が突出しなくて済む隠れ蓑カラーの役割が、「黒」にはあるのだろう。

だけどね、「黒」は、気分がちっとも盛り上がれない色でしょ。心理的に「黒」が必要でもないのに、身に着ける色が「黒」ばかりだと、自ずと閉鎖的な自分になっちゃうよ。

せっかくたくさんの色が世界に溢れているのに、それに気付かず、自分の感性のふり幅を狭めるようなことをするのは、ああ、もったいない。

「黒」以外で、選んだ色が自分に似合っていれば、決して派手な印象にはならない。

(反対に、似合っていない色だと、「派手!」と感じさせてしまいます)

要するに、似合っていないと“色が浮く”感じで見えて、似合っているとその人に“馴染んでいる”“素敵に見える”印象を残す。

だから、パーソナルカラーの理論で色選びが出来れば、何も“無難”で終わらせる必要はないよね。

楽しもうね、自分のための色選びを。

| 色の小話 | 23:43 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

色の自分史

その時、選んだ色、心惹かれた色、美しいと感じた色。

その時代、よく使った色、好んで着ていた色、気が付けば登場回数が多かった色。

それらの色が、あなたの心の内を物語っていることは、このコラムでもたくさん書いてきた。

その時その時のあなたに、何か意味があって取り入れていた色たちなのだろう。

自分の小さい頃から現在に至るまでを振り返ってみて、その時代、時代を色で表すとしたらどんな色か(イメージで色を決めてもいい)、色紙や色鉛筆などから色を選ぶことをしてみて、並べてみよう。

そこから見えてくるものがあるはず。色の自分史だ。あなたの心の軌跡がわかる。

ちなみに私は、幼少の頃は、「ピンク」だなあ。
毎日が楽しかった。恐い物を見たりとか、嫌な思い出は数少ない。「ピンク」は、周囲に愛され無邪気に生きていた頃の象徴だろう。子どもはこれでいい。

小学生時代は、前半「赤」で、後半も「赤」か。
低学年の頃は何事もなかったのだが、小学校3年生くらいからだんだん生き辛くなってきた。特に、5、6年生。荒れていたし、一人でいる環境が好きで変わり者だった。この「赤」は、前半はエネルギッシュの「赤」で、後半の「赤」は、反抗、抵抗、気の荒っぽいところが出ている。

中学時代は、「青」とか「緑」とか。
規範意識と、「〜でなければならない」という意識が高かった。

高校時代は、「グレー」と「ゴールド」。
教室と部室で、極端に人が変わった私だ。教室が「グレー」で、部室が「ゴールド」。「グレー」は、自分の存在を煙に巻きたいような、いない者と思って、というような感覚。「ゴールド」は、心血注いだ頑張りの証。

短大時代は省略して、社会人になって、「赤」。
仕事が忙しく、きりきりしながら仕事をしていた頃、イライラがつのっている「赤」だ。

転職して、「緑」。
人付き合いや人脈に気を使っていた頃。「緑」は、人間関係に苦心していた頃だな。

再転職して、「青」。
自己内省をよくしていた頃。内省の「青」、一人暮らしの影響もあるかも。

そして、現職。「ゴールド」→「レッド」→「ピンク」→「紫」。
馬車馬のように仕事をしていた頃から(ゴールド、レッド)、それから解放されたかった頃(ピンク)、目に見えないエネルギーに興味を持ち始めた頃(紫)、というところか。

この「色の自分史」、作った時によって、色が変わるだろう。過去を振り返った時の自分が、調子がいいか、そうでないかで、過去の出来事も、肯定的に見たり否定的に見たりするからだ。過去の感じ方が違うということ。

私も、また変わるかな。

| 色の小話 | 18:14 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

曖昧な「グレー」

そういえば、このコラムで、あまり語られることのなかった「グレー/灰色」。

オーラライト・カラーセラピーでは、ガラスボトルに液体が入った透過色だから、「グレー」の色はないし、クーピー色鉛筆を使うキュービック・カラーセラピーでも、厳選された10色の中に「グレー」はない。

色彩心理における色が示す意味合いを解釈していく上で、確かに“絶対必要”という色ではないなあ。

でも、「グレー」って、結構面白い色だと思うな。

私が最初に、色彩心理を学ぶ上で「グレー」を加えたのは、確か、福祉系の専門学校のカリキュラムに入れたのが初めてと思う。

「カラーセラピー」の選択科目の授業で、講師の裁量で自由にカリキュラムが組めたので、入れることが出来た。

さて、「グレー」だが、心理の意味合いを考察するなら、この色がどういう色かを考えるところから始まる。

まず、「無彩色である」ということ。同じ無彩色の「白」と「黒」の仲間、ということになるが、それらとの違いを明らかにしていく。

それと、プライマリー・アソシエーションについても考えてみよう。

そうすると、「グレー」は、重たく垂れ込めた雨雲のグレー、火事などの際の煙、焼け跡の灰の色、クレイ(粘土)の色…。

無彩色である「グレー」は、「白」と「黒」の間にある。この「白」と「黒」のほうが“個性”が際立っている。「白」も「黒」も色彩学の理論上は、明度の数値で表した時、10と0の一点しかないが、「グレー」は、その間を埋めるものである。

それは、「白」と「黒」が、その“個性”においてゆるぎないものであるのに対し、「グレー」は、その点が曖昧になる。

物事のけりをつける、「白黒はっきりさせる」という言葉から外れた「グレー」は、白とも黒ともはっきりさせられない、まさしく“グレーゾーン”であり、“グレーゾーン”に留まっていたい願望も垣間見える。

自分の意見をはっきりとさせたくない。そもそも意見があったのかどうかさえ、曖昧である。

白か黒か、自分の答えをはっきりさせてしまったら、それに伴う責任が生じる。その責任を回避したいきらいもある。シビアな場面が苦手だ。

また、「煙に巻く」という言葉があるが、煙色の「グレー」は、うまくごまかすことに腐心する。

それから、燃え尽きた後の灰の色である「グレー」は、何もかも灰になった、虚しさも感じる色である。

曖昧で、無責任で、不安や虚しさを抱えた「グレー」…。

こう言ってしまうと実もふたもないが、その色が存在するということは、私たちが生きていく中で、感じることが有り得る心情の一つである、ということだ。

ところで、この「グレー」という色は、日本の歴史において、江戸時代に非常に流行した色でもある。

この曖昧で、自分の意志をはっきりさせられない、謙虚そうな色が日本人に好まれたというのは、日本人の気質を示しているようにも思えるね。

| 色の小話 | 23:37 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

…の時には「黒」はやめよう

「黒」という色は、ファッションにおいては外せない色だよね。

ブルーベース(特にウインタータイプ)の定番色の一つであり、また、トップスでもボトムスでも、洋服の色々なアイテムに、一応、取り入れられている。

この色を、「無難だから」という理由で普段からよく着ている方もいらっしゃるが、本当に無難かというと、残念ながらそうではない。

「黒」が似合う人は結構限られるから、無難に着れる人はそうはいないし、ましてや、「黒」を格好良く着こなせる人はもっと稀だ。

それから、「黒」は色彩心理においても、扱いがなかなかに難しい。

すべての色の中で、最も頑固な色が「黒」でしょ?本心を鉄壁のガードで守り抜く、強固な意志の色が「黒」だ。

相手が「黒」で頑固者だとすると、取り付く島がないし、よっぽど気に入られない限り、心を開いてはくれない。

また、表面を覆っている「黒」の真の姿は、案外弱かったりする。何に弱いかと言うと、“人付き合い”だ。

だから、「そんな頑固じゃいけないよ」と、「黒」の人を引っ張り出して何とか仲良くやってもらおうと腐心するのは、かえって残酷なことになりかねない。

そんな「黒」だから、シチュエーションにおいて、「黒」の服を着て行くのが不向きな場合がある。

例えば、,見合いや合コン。心を開かないなんて、嫌々来たみたいよ。

例えば、⊇薀如璽函上記の理由と、ガードがすごく固そうで、相手が戸惑うよ。

例えば、新しい職場に初出勤。初対面の印象って大事でしょ。「黒」では取っ付き難い人の印象よ。

例えば、い見舞い。「黒」って“死”のイメージもあるものねえ。当然不向きです。

例えば、ナ欅蕷爐簍鎮娜燹J欅藥里気鵑「黒」づくめの服装では、威圧感与えます。

例えば、κ〇禊愀犬了纏。威圧感を与えるのと、相手がお世話されたくないと思っちゃうかも。

まあ、他にも色々あるかもね。

反対に、「黒」が合うシチュエーションは、例えば、相手を叱りたい時など、「あなたの甘えや言い訳は、一切受け付けない!」という無言の圧力を出してくれる。

また、高級なホテルやショップの黒い制服はお客様に威圧感を与えてしまうが、それくらいのほうが、お客様にほど良い緊張感を持たせて、悪くない。

そして、背筋を伸ばしたくなるような気持ちが生じて、「あ、私、この場と対等に頑張ってる」というような優越感的な快感を感じてくれるだろう。

色は使いようだね。

| 色の小話 | 22:49 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

努力の証(あかし)、ゴールド

「ゴールド」は、個人的に好きな色だ。

サロンを立ち上げてから数年、自分のテーマカラーでもあった。

「ゴールド」は、上昇志向、成功志向が高い。ビジネスや競技などの勝負事にはめっぽう強い。

この色をイメージングして、自分の頭に落とし込んで、常態化出来ると、結構“ゴールド効果”が身に付いている。

「ゴールド」の心理的な効果は、精神力が強くなることが挙げられる。

これが、どう、ビジネスや競技に有効かと言うと、大舞台で追い詰められた状況でも、プレッシャーを丁度良い緊張感に変えて、実力を発揮させることが出来る。

自信がつく色でもある。ただ、これは、日頃の努力が裏打ちされての自信だ。努力なくして何の根拠も無く自信がつくことではない。

それから、“ゴールド効果”は、打たれ強くなる面もある。

失敗をチャンスに変える力を持っているので、少々の不都合など、なんてことなく乗り越えてみせる。

ただ、これも、日頃培ってきた、目標達成への知恵があるからこそで、なにも考えてこなかった人にまで等しくもたらされるものではない。

目的のためには何でもする!という気概があるが、“ゴールド効果”が過剰すぎると、自分の論理がとにかく正しいと、他を寄せ付けない傲慢さにつながることもないことはない。

まあ、それほどの強さがないと、トップを取るなんて簡単なことではないということだ。

折りしも受験シーズン。自分に“強気”を増幅させたいなら、「ゴールド」を思い浮かべながらのカラー瞑想など、試してみたらいかがかな?

| 色の小話 | 22:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

魅惑のマゼンタ

コラムを書いていると、どうしても色彩心理における主要6色(赤・オレンジ・黄・緑・青・紫)の話ばかりになってしまうので、今日はターシャリー・カラーのマゼンタについて書いてみよう。

「マゼンタ」は、「紫」よりもカリスマ性が高い。「マゼンタ」のほうが、精神性がより高く位置づけられているからだろう。

精神性が増すと、目に見えない部分が増えていくわけで、人は、見えないものが多いほうに神秘性を感じる。

「マゼンタ」は、博愛カラーである。慈悲の心に富んだ「マゼンタ」は、広く愛する、深く愛することを得意とする。

献身的で、自分を犠牲にしても、相手に尽くしたいと思ってしまうところは、良いところであり、泣きどころでもある。

信じる相手が間違っていなければ、永遠の愛に満ちた人生を送ることも可能であろうが、取り違えると、本当に犠牲で終わってしまう。

また、別の側面では、“カリスマ性”にも通じるところだが、山のトップから下を見渡すことのほうが自然に感じるから、人の上に立つ人物になりやすい。

これも、やり方を間違えなければ、惹きつけられた取り巻きたちを上手にあしらえるが、どこかで反感をかってしまうと、反逆因子に噛まれることもなくはない。

実りを収穫するのも上手い。これは、先に種まきと下地作りをしっかりしていたからだが、先行投資の才がある。その点は、勘が良いことが幸いする。

あ、一つ気が付いた。

「マゼンタ」も、「ヴァイオレット」同様、他人からは分かり難い部分がある。

「ヴァイオレット」の場合は、自分の頭の中を明らかにしないので分かり難いのだが、「マゼンタ」の場合は、山の裾野にいる人たちからは山のトップにいる「マゼンタ」が見えにくいので、“この人は分かり難い”と感じるのだな。

そして、「ヴァイオレット」の場合は、自分が他人からは分かり難いと思われていることに理解されない苦しさを感じるが、「マゼンタ」の場合は、分かる人だけ分かれば良いと、鷹揚に構えている。

こうして見ていくと、「マゼンタ」も面白い色だな。

実は、「マゼンタ」のことを下から見上げて、“分かり難い”と思っている一人が私なのだ。

「マゼンタ」のことももっと知って、私も鷹揚に構えていられるようになりたいものだ。

| 色の小話 | 22:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

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